開業前エピソード
日本の矯正医、アメリカに飛ぶ

矯正歯科専門として一般歯科も経験しながら歯学博士号を取得。その後、アメリカUCLA審美歯科医コースに3年間渡米し、帰国後、歯科インプラントを経験し、その後、地下鉄グリーライン開通とともに、駅前ビルに開院した秋庭院長。さまざまな分野の治療を経験した矯正歯科医「秋庭院長」の素顔にせまります。
(2011年11月:聞き手:03デザイン 三上)
――まず秋庭先生のご経歴を見るだけでも、有名どころの歯科医院での勤務、そして矯正歯科医らしからぬ一般歯科治療のご経験が目につきます。
当院は、矯正歯科治療だけでなく、一般診療も全部できるということなんです。虫歯や歯周病、予防などのクリーニング、セラミック治療などの審美歯科やインプラント、さまざまな治療が院内で済む(完結する)というのが特徴です。
――矯正専門だけでなく、なぜ一般治療も経験されたのか教えていただけますか。
そもそも歯医者を目指したきっかけは、静岡の実家が歯医者だということです。祖父も父も。自分の代で3代目、静岡では老舗なんですが、なれと言われたわけでもなく、なるべくしてなったという感じです。
本当に歯医者一家なんです。詳しく言いますと、
- 父親の兄弟構成は4男1女。4人とも歯科医(日本歯科大学)。
- 長女には、1男、1女生まれ男は歯科医。
- 長男には2男いずれも歯科医。
- 次男には3男いずれも歯科医。
- 3男には2男、1女生まれ2男は歯科医。
- 4男には2男1女生まれ1男歯科医、1男医者。
5人の家系の子どもから皆歯医者が育っている、合計14歯科医師軍団です。

静岡県のご実家の医院

院内
――ものすごいご家系ですね。それから矯正歯科医を目指すわけですね。
まず大学を卒業して、飯田橋の大学病院の矯正科に4年間残ったんですが、一般的に矯正学を習得すると、矯正専門として生涯を過ごす先生が大半なんです。その時は自分も例外ではなく自分自身、虫歯を削るどころか歯周病の治療、注射すらできませんでした。怖くて削れない、打てない。これじゃダメだな、と思って。
矯正治療は特別な分野で、一般歯科の先生は、矯正のことは矯正の先生まかせ。矯正の先生は虫歯治療の事は一般の先生まかせといった具合。「矯正専門と言ってるわりには歯のことをよく知らないな、これでは矯正専門とは言えないなぁ」と強く感じたんです。
そこで一念発起して4年間矯正のプログラムを修了した後、一般治療の勉強をゼロから始める訳です。
――なかなかそういう考えには行きつかないですよね。環境から抜け出すというか…。
うーん。初めは同級生等に「なぜ今さらゼロから勉強をし直す必要があるのか? 矯正歯科で十分食べていけるだろう」言われた事もありました。矯正科を4年もやってればいっちょまえに収入もあるんですが、結局そこから全部それを捨てて、0から虫歯の勉強からやり始めたんです。
影響された浦安時代
アメリカで矯正学を習得した一般歯科の先生に師事
UCLA校舎
「おまえの逆で、先に一般治療の勉強しその後矯正治療を習得するためにアメリカ留学した先生がいるぞ。」
当時の矯正科教授に紹介され1997年、場所は浦安に移り住みます。平日は一般治療をしながら土日は矯正治療、同時に歯学博士取得のため大学に通い続ける日々が4年間続きます。
「
1週間が10日欲しいよ
」と周囲に漏らしていました。
今、思うと恐ろしいスケジュールでしたが、1999年念願の歯学博士号を取得しました。
その先生に「 お前は矯正専門医になれ。矯正のことしか知らない限定医にはなるな。 」と言われました。総合的に知っているような専門性を身に付けろ、という意味だったんです。浦安の医院では、一般治療を勉強したんですが、院長先生の影響でやっぱり外国人の方がたくさん治療に見えられるんです。
一般治療、矯正治療が安定したのにもかかわらず、先生の影響を受けて好奇心旺盛で2001年、英語の勉強の為、32歳の秋に渡米しました。
アメリカ時代
――影響を受けただけで、すぐにアメリカの歯科学校に入学できるわけではないですよね。
いろいろなルートがあるんですが、一般的なのは日本の歯科大学に所属し、推薦枠で橋渡しをしてもらって1年間くらい行くコース。これはどちらかといえばお客様扱いです。
UCLAの門の前にて
僕の場合は何もなかったので、まずは現地の英語の語学学校に半年間いったんです。2001年の9.11テロのわずか1週間前のことです。その日のアメリカはマイケルジョ―ダン引退の話で持ちきりのはずでした。朝、テレビを見ながら学校に行く身支度をしていると、ビルの解体ショーのように貿易センタービルが崩れていきました。学校に着くと「テロだ、テロだ」と騒いでいたのを覚えています。
そんな状況の中、アメリカ生活が始まります。最初は英語が出来なかったので、自分がUCLAの大学に入ろうとは全く思ってなく、「開業前にアメリカを見て帰ってこよう」くらいの軽い気持ちだったんです。
しかし生活も慣れてくると、それだけでは飽き足らず、語学学校に入学して3ヶ月目くらいに、UCLAに大学進学しようという気持ちが芽生えてきました。
UCLAに入学するためには、TOEFL(英語のテスト)と面接で決まります。3ヶ月猛勉強しました。面接は、大体聞かれそうな英語での質問を事前にシミュレーションして丸暗記したんです。それが試験当日、ドンピシャで当たったんですね。
晴れてThe UCLA center for Esthetic dentistry.(審美歯科)のプログラムに大喜びで合格しました。が、入れたことは入れたんですが、自分の場合、入ってからが大変でした。
そこから始まる地獄の3年間
Dr. Edward McLaren教授と
今まで語学学校で日常英会話しか習ってなかったやつが、いきなり大学の講義を英語で習うわけです。当然ついていけなくて…。1ヶ月間集中セミナーが朝8時から夕方5時まで毎日。そのセミナーのあと最終試験があるんですが、それを合格しないと患者さんを診させてもらえないんです。
それがとにかく辛かった。1日17~18時間くらい、ず~っと勉強しました。英語での勉強なんで、とにかく闇雲にぜ~んぶ片っ端から訳して訳しての繰り返しです。
最終試験の結果は200人ちょっといる研修医生徒の中でビリ。200人の研修医はUCLAの内科、外科、などあらゆる医学部の生徒が一緒に試験を受けるんです。6教科くらいあって、麻酔とか、緊急蘇生とか歯科にとどまらない医学の教科の問題で、しかも英語でワケ分からないんです。その中で日本人は僕一人だったんですが、英語のテストすら受けたことないんで当然落ちますよね。
で、教授に呼ばれたんです。「
お前、なんで落ちたんだ
」と。
僕としては「英語が分かんないから当たり前だろ」くらいの気持ちで教授に伝えたんです。そしたら
「お前、
患者を診るために来たんだろ。患者を診ないんであれば日本に帰れ
。」と言われたんです。
厳しい言葉でしたね。
それで教授から「
今度追試があるから、お前何とかパスしろ、そしたら認めてやる
」と。
もうそこから追試のための勉強の日々です。その追試はワンチャンスで、自分のタイミングで受けにいっていいものでした。好きなときに試験に行っていい分、自分の志が強くないとダメですよね。とても緊張しました。
その追試は、とにかく過去の問題集が出回らないんです。UCLAは過去の答案をすべて回収しちゃうんですね。だから練習しようがなかったんですが、どうしたかというと、学校の事務所内では今回の試験の問題と回答が自由に見れるんです。 その事務所に毎日通いました。同じ問題なので、それが追試で出る保証もないんですが、とにかく英語に慣れようと思って同じ問題をず~っと解き続けたんです。事務所のスタッフにも「またお前か」と言われるくらい毎日通いました。
それである程度「これで大丈夫だ」という自分のタイミングをみて「これで落ちたらもういいや」という気持ちで1人で追試を受けにいきました。
あきらめ半分で受けた追試の結果…
審美歯科コース/サーティフィケイト
追試のあと、また教授に呼ばれました。
「 おめでとう! 」教授から直接合格の通知です。
その当時、最低でもCを取らないと合格ではなかったんです。Aが90点以上、Bが80点以上、Cが70点以上。「もうダメかな、Cの70点以上も難しいかな」と自分の中ではあきらめていて、受けるだけ受けたという感じでしたね。
で、結果を見たら「 オールA 」。これは自分でも本当によくやったと思いました。その時は英語を英語で考えて無意識で書いてたレベルでした。
そこでやっと皆と同じスタート地点に立ちました。
後から聞いたんですが、僕が受けたその追試は、完全にパスしなくてもいいというか、通らない人もいたらしいんです。中には受からなくても何となくなぁなぁで次に進んじゃうコも。僕らは初期の頃なので絶対に受からなきゃいけない世代だったんです。
今のUCLAの時代と、僕がいたころのUCLA審美歯科医コースの時代はカリキュラムもやり方も少し違っていたように思います。自分に厳しくしたい人は厳しいコースになるし、所属して箔を付けるだけという人もいたんです。自分の国に帰国しても実際には診療をしていない人もいます。自分に甘くすれば甘くできるという環境でした。
僕はとにかく浦安時代の先生に「厳しさ」を聞いていたので、あえて自分に厳しくしていました。
これでやっと患者さんが診れる、しかし…
審美歯科コースの仲間と
これでやっと患者さんが診れる、それでメデタシと思っていたら、こんどは審美歯科のコースに分かれて勉強していくんです。審美歯科のコースの定員は毎年3人くらいしか採らないんです。その200人から今度は3人+教授というゼミのような授業です。それがまたとにかく嫌でしたね。
そこでも英語が頭では理解できていたんだけど、喋れない、口から出ない。それが辛かったです。英語の分厚い教科書を「200ページ明日まで読んできて」と。次の日「じゃぁその内容について討論しよう」と、そういう授業だったんで、もう200ページなんて日本人が読めるわけないんですよ。読むだけでいっぱいいっぱいで「今度はレポートを出してください」と、毎週毎週その繰り返しでした。
200人で授業中、居眠りしようが何しようが分からなかった環境から、今度は3人のゼミ形式で、絶対に逃れることはできない(笑)。半年間その状態が続きました。
半年後には患者さんの配当がだんだんと始まってきました。配当が始まると、座学というよりはどちらかというと「手を動かせ」という状態。どんどん患者さんが来て、そのころから楽しさを感じました。
あいつは“矯正”ができるぞ 周囲の目が変わる
――日本では矯正と一般歯科を経験されていて、ある程度余裕はあったのではないでしょうか?
1年目はリサーチだとか本読みだとか座学中心で、英語で本は読んできて理解はしてるんだけど喋れない。新卒の先生たちよりも下に見られることが多かったです。僕はとにかく英語ができなかったので、やっぱり英語のハンデが一番ありましたね。当たり前ですが周りは英語が喋れる(笑)。
実習の様子
「 喋れない=コイツ理解してない 」という風に思われてその辺は悔しかったんですが、2年目になると、臨床が入ってきていわゆる実技。後輩も入ってくるし教える立場でもあり、とにかく手が動かせるので楽しかったですね。
臨床で手が動くと、周りの目も「あいつは出来るんだな」となってきました。日本で矯正から入ったので「 あいつは矯正が出来る 」と評価が変わっていきました。
審美を作る上でラミネートベニアでもオールセラミッククラウンでもそうですが、「歯の位置」いわゆる「トゥースポジション」というのは必ずきちんとしてないと審美歯科は成り立たないんです。セラミックを入れる前には必ず矯正が必要だと。
だから僕が矯正を審美歯科コースに取り入れることになるわけです。そうしたら学校のほうも理解があり、矯正歯科の道具や機器、材料を一式全部、僕の為に買って揃えてくれたんです。UCLA審美歯科コースは僕の代から「矯正歯科」もプログラムに入れ始めたんです。今でもその道具一式は大学に残っているらしいです。
ちょうど僕が入ったのは、審美歯科プログラムコースが出来て3年目くらいのころで、まだ今のようにしっかりとした設備や研修内容が揃ってなかったんです。
僕が矯正ができるからと目の当たりにした学校が機材を全て導入してくれたことは印象的な出来事でした。
審美をやってわかったことは、「 矯正歯科に審美歯科、審美歯科に矯正歯科は必要 」であるということでした。
帰国後
審美歯科の後はインプラントへ
UCLAの審美歯科プログラムが3年で終わって帰国。アメリカから帰って思った事。「咬めない人を何とかしてあげたい」またまた飽き足らず今度はインプラントの勉強を始めます。
「どうせ勉強するなら日本一の歯科医院で」アメリカ時代からの知人に紹介を受け、日本でも屈指の、古くからインプラントを導入していたパイオニア的存在の症例実績のあるインプラント専門医院に勤務し勉強をしました。とにかくインプラントの勉強をしたい、本数を見たいという思いでした。
ところが行った先が寺子屋のように厳しかったんです。
ここでも非常に厳しい教育を受けました。「礼にはじまり礼に終わる」というような場所。「ドクターはまず掃除をしなさい」と。朝来て掃除、夜診療終わってから掃除。そして通勤中、診療中はスーツ・ネクタイ着用、朝でも昼でも真夏でも着用。気候のよいアメリカで1日中オペ着でラフでいられる環境と真逆です(笑)。
真夏でも汗をダラダラかきながら診療する。「それは医者本来の姿である。身なりはきちんとしないと、医療・医術たるものうまくいかない」という教えだったんです。
――計算すると、その当時の秋庭先生は36歳くらいで掃除をしていたんですね…。
「医者たるものキチンとしていなければならない」「いつなんどき見られているかわからない」と。
院長先生自らがスーツ着用でトイレ掃除もするので、そういうスタイルなんですね。掃除ができないとインプラントをさせてもらえなかったんです。「自分の仕事場はきちんとしていないと良い仕事はできない」という考え方です。
インプラントを勉強しにいったんですが「仕事場はきれいに」「歯医者たるもの、歯科医たるものは」という精神を身に付けたほうが大きかったように思います。
その精神が自分の医院でも引き継がれていて、いまでもトイレ掃除や床掃除は自分でします。
インプラントについても1本歯が無い方から、全く歯が無い方まで一通り全部こなしていました。年間何千本という歯科医院だったんですが、とにかくインプラントの本数を経験させてもらいました。
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